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財布新調するなら長財布がいいかな [財布]

どんな財布がいいかな

今回長財布を紹介しようと思ったのは、自分が買いたくて、紹介します

  まず、長財布が良いと思うのは、お札の気持ちになって考えると。折るタイプの
  財布だと、人間がお札に置き換えてみたら、窮屈で痛い感じが、外に出たくなる

  長財布だと、伸び伸び出来て、外に出て行きいきたくなくなる。

  お札と、小銭は別々が良いと聞いたことがあります。

  長財布には、お札以外は、あまり入れない方が良いみたいで、カード類も別が
  良いみたいです。                                  

財布を買うならいつ

  使い始めで人気あるのが、寅の日ですね

  なぜ、寅の日が良いか分からなくて、調べたら、虎の模様が金運の象徴で、
  虎は、千里を駆けると言われています。お金が出ても、すぐ、帰ってくると
  言う意味だそうです。

ちょっと寄り道

  財布の色は、定番は黄色ですが、ゲッターズ飯田さんが、テレビショッピングで
  深緑がおすすめと言っておられ、今回この色を買おうと思っています。

風水的に金運が上がる財布

  風水的に、色が重要になります。
  金運アップの財布のカラーは、暖色系の茶色、黄土色、キャメル・ベージュ・オレンジ系

  黒色も金を貯まる色みたいです。

  金運で人気の黄色は散在の意味もあり、財布の内側が黄色が良いみたいです。

  残念ながら、金運が逃げてしまう色として、青と赤です。

  青は金運を流す、赤は金運が燃える、という意味だそうです。

素材 

  定番の素材として好ましいのが主に革製品になります。
  蓄財や豊富の象徴とされる牛革が一番好ましいようです。


  運気を上げて財を築く蛇革も良いとされています。

  蛇革の財布でなくとも、ヘビ柄であるだけでも効果があるみたいです。


  デザインは、シンプルなものをお選んだ方がベスト。

  
  多機能な財布は窮屈で金運が逃げるみたいです。

  

 




  

  

お正月に食べるお雑煮の由来、、関東、関西、レシピ [歴史・由来]

まず、お雑煮の由来は?                          

  まず考えられたのが、もちろん、日本伝統料理であることは当然です。
  当時は、武家社会で食べていたもので、戦の際、野菜などと煮込んで食べたとか。  

  どうも、室町時代の書籍に「雑煮」と言う言葉が登場したみたいです。         

  また別の考えとして、お正月に神棚に供えた餅を下ろし、ご利益を頂くために
  作った料理です。                                          

  元は、武家社会に伝わっていた風習が、江戸時代ごろから庶民に知られるように
  なったみたいです。                                                

  また、」正月(三が日)にお雑煮を食べるとき、昔は、祝い箸で食ていたみたいですね。             

祝い箸とは                                    

  箸の長さは、末広がりの八寸(24センチ)で、柳の木で作られています。        
  八寸の八は、末広がりで、縁起物の箸です。

お雑煮関東、関西の違い                           

関東風               

  切り餅を焼いて、すまし汁で、具は基本的に鶏肉と青菜です。
  名を上げると言う意味で青菜を持ち上げて食べる。     

関西風              

  お雑煮は白味噌で、丸餅(焼かない)と頭芋、雑煮大根、金時人を入れて作ります。  

おせつ料理の由来

  おせち料理を漢字で書くとこうなります。【御節料理】です。                 

  元々は、1月七日は、人日といい、三月三日を上巳、五月五日を端午、七月七日を七夕
  九月九日を重陽の日に、神様にお供えをするための料理です。
  今は、正月料理だけを指すようになりました。                          

    人日は、この日は、七草粥を食べて1年の豊作と無病息災を願います。        

    上巳は、桃の節句の事です。                                  

    端午は、菖蒲湯に入ることで無病息災を願いました。                    

    七夕は、ご存知の通り、織姫・彦星の星物語                           

    重陽は、菊の節句、菊の宴とも言われています。                      


2016年申年は、どんな年いろんな角度から [雑学]

2016年申年どんな年

今年は、60年ぶりの丙申(ひのえさる)
  丙は照り輝く太陽の火を表しています。一方で申は、器用さや臨機応変さという意味があります。
  この2つの性質を併せ持つ丙申は、情にもろく尽くしていくという人柄のよさが出てくる干支です。
  太陽の光が誰にでも平等に降り注ぐように、情を注いでいくと解釈することもできるでしょう。
  その中で、誰が何を求めているのか、器用に察して臨機応変に動いていくということができるでしょう。
  それが丙申の素晴らしさです。その結果、人に尽くしていることが多くなるのでしょう。
  ですから、自然と信頼され人が集まって来る傾向があるのです。
  ただ、外に目が向くことが多く、自分の中で何かにとことんこだわるという面では、力の弱さもあるかもしれ  ません。
  自分のことを優先的に考えるくらいでも、周囲とのバランスが取れるだけの善良さがある干支だと言えま す。
  引用元:http://free-fortune.jp/dictionary/827

記事を読んだ感想は、そんなに悪くない年みたいです。

赤いものを身につける語源

  申年は、「去る」をイメージして、赤い身に下着を付けることで、病が去る事などが
  語源みたいです。

滋賀県日吉大社とは

  猿を山の神、太陽神の使者として祀った事で有名です。
  特に、厄よけがメインみたいです。
  正月などに、縁起物で猿回しを行われるようになったみたいです。

猿回しとは

  魔を去ると信じられ、神の使いと考えられていたみたいです。猿回しは、悪を去って、
  良きことを得ることを縁起のいい芸として出来たところです。

  いろいろ、あるわけですが代表的なのが、日光猿  軍団、が有名です。

今年もいい年でありますように






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2016年ニューイヤー駅伝 癌を乗り越えた糟谷悟 がんばれ [スポーツ]

2016年ニューイヤー駅伝始まりです

  私も何十年も、社会人、大学駅伝を見てきましたが、私の記憶では、癌
  (悪性リンパ腫)を乗り越えて復帰した選手は見たことがありません。

糖谷 悟(かすやさとる)どんな人

  所   属 トヨタ紡織陸上部入社
  
  出 身 地   愛知県
  
  出 身 校   駒澤大学
  
  生年月日  1983年7月8日 

糟谷 悟選手 主な成績

  12年  大阪ハーフマラソン 2位

  11年  琵琶湖毎日マラソン 8位

  10年  名古屋ハーフマラソン 5位

   8年  防府読売マラソン 2位

   8年  名古屋ハーフマラソン 3位

   8年  函館ハーフマラソン 5位

   8年  熊本ロードレース30㎞ 4位

コース拝見  

  1区  群馬県庁 から 高崎市役所 12.3Km  
        区間記録 34分16秒 マーティン・マサシ(スズキ)=第51回大会

  2区  高崎市役所 から 前橋市公田町 8.3Km
        区間記録 21分54秒 ジョセファト・ダビリ(小森コーポレーション)  
        53回大会
  3区  前橋市公田町 から 伊勢崎市役所 13.6Km 
        区間記録 37分52秒 宮脇千博 (トヨタ自動車) = 第56回大会

  4区  伊勢崎市役所 から 太田市役所 22.0Km
        区間記録 1時間02分47秒  設楽悠太 (Honda) = 第59回大会

  5区  太田市役所 から 桐生市役所 15.8Km
        区間記録 44分57秒 坪田智夫 (コニカ) = 第46回大会

  6区 桐生市役所 から JA赤堀町 12.5Km
        区間記録 36分35秒 高井和治 (九電工) = 第56回大会

  7区  JA赤堀町 から 群馬県庁 15.5Km
        区間記録 44分53秒 J・ドゥング (ホンダ浜松) = 第46、47回大会

 もっと詳しい情報は


  今日の駅伝、糟屋悟君を中心に応援したいと思います。また、旭化成の復活はあるか、   古豪にもチャンスあり
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2016年初詣 出雲大社 [神社・仏閣]

出雲大社初詣

  出雲大社の初詣は、時間帯にもよりますが、電車が一番です。
  
  多分、臨時列車も出ているので、そっちが便利

参拝方法

  出雲大社は、ほかの神社と違い「二拝四拍手一拝」です。

参拝手順

  本殿正面になる拝殿でご拝礼し、摂末社を参り、御神座より拝礼します。

出雲地方では、ほかにも色々有名な神社仏閣あるので紹介します。

  日御碕神社
  
  出雲大社から車で15分から20分です。

  鰐淵寺

  出雲大社から来るまで30分から40分 ※道が狭いです

  また、鰐淵寺は、弁慶伝説もあり。弁慶まつりも開かれています。

  一畑薬師

  出雲大社から30分から40分 一畑薬師から松江まで30分くらい
  
  一畑薬師は、山の上にあり、千何段の石段かあり、毎年10月終わりに
  一畑マラソンが開催されます。

  まだまだありますが、今回はこれで

 
ちょっと出雲を紹介します  

  大社は昔JRが走っていましたが廃線になり、今は、駅しか、残っていませんが、
  その駅が、国の重要文化財になりました。こられたら、是非とも見てください。

  大社は、歴史も古く、島根県では、初めて大社高校にサッカー部ができました。
  今年、全国大会に出ましたが、初戦、青森山田に2-3で破れました。

出雲地方は、食の宝庫です
 
  この出雲地方は、特に蕎麦が有名で、大社に多く店があります。
  隣り合わせである店もあります。

  近年(遷宮以来)ブームで、芸能人も多く、芸能人御用達の店もあります。

  それと、出雲大社は、ぜんざい発祥の地としても、ピーアールをするために、
  ぜんざい学会というのもあります。

是非とも出雲へ

 

信長協奏曲(コンチェルト) [映画]

2016年1月23(土)全国東宝系ロードショー待望の映画化、待ってました。

  今回、色々な場面がありますが、やはり本能寺の変がメインになると思います。

  今回気になる役者、羽柴秀吉(山田孝之)について、書いてみます。

山田孝之のプローヒール生年月日 1983年10月20日 (32歳)

  出身    鹿児島県

  血液型  A型

  星座   てんびん座

  デビューのきっかけ
        原宿でスカウト

山田孝之詳しいプロフィールはこちら

本能寺の変とは
  1582年(天正)6月2日、織田信長と嫡男、織田信忠が京都(本能寺)で、明智光秀に
  襲撃された事件、信長と信忠は、自害をした。

  余談ですが、当日京都(本能寺)周辺の天気は晴れ。

明智光秀(三日天下)三日天下とは、京都で政務を務めたのが、
  三日だったため、実際は十数日ででした。

  光秀は、羽柴秀吉に滅ばされた。


本能寺の変詳しくは  


本能寺はどこ









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あさが来た 「東京物語」 [NHK連ドラ]

12月26日視聴分

東弘成館にて
五代に、抱きつかれ事に対し、今度同じ事をしたら、相撲みたいに投げ飛ばしますと
あさは、五代に言いました。五代は、反省しきりです。

あさは、五代にあなたの力になりたいし、男女関係なく頼って欲しいと言い出し。
五代の心の友になりたいと言ったあさでした。

五代は、あさに献杯をもうしで、永遠の我が友、大久保と叫びウイスキーを飲み干しました。
あさも、一気に飲み干しました。

あさの、ウイスキーの感想、旦那さん等が、うまそうに飲んでるのを見て一気に飲み干しま
したが、感想はそうではありませんでした。

あさが、帰ろうとして、立ち上がったが、ウイスキーがまわって立てませんでした。

ふと、あさはポツリと五代様の事を何もしらなと言い出しました。

五代は、色々あったが、あささんに会えたことが一番よかったと、言って、振り返ると
あさは、寝ていました。

その頃大阪では「晴花亭」では
新二郎と亀助がビールを飲んでいました。亀助初のビール ビックリです。

この店のオーナーは、三味線の、お師匠美和さんです。店を開くきっかけは、新二郎と
五代さんに、ビールのことを知らされそれで店を開いた次第です。

新二郎はと、亀助たわいもない事を、話していました。

その頃東弘成館では
あさは、うめに、懇々と説教をされていました。自分が寝込んだことも忘れていました。
ふと我に返り、早く、大阪に帰らないと、走り出していました。東京に感謝して

加野屋に帰り
久々の再会です。

東京では、大久保の暗殺を、外国人の方が危惧しているみたいだと、五代に告げました。

また、加野屋では、新二郎は、あさが遅くなったことばかり聞くので、もっと、違うこと
(東京での出来事)聞いて欲しいと怒っていました。夫婦円満

今日の感想
五代も、男、大久保の死が相当つらかったみたいで、あんな行動に出たみたいですね。
人生色々。
あさは、東京に出て、福沢諭吉、大久保利通、等々いろんな人に会い、人生観も変わって
来ると思います。


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あさが来た 「東京物語」 [NHK連ドラ]

12月25日視聴分

大阪加野屋では

よのが、亡くなった正吉が新次郎の三味線を聞きたかったことを、告げました。

東弘成館では

五代は、大久保が暗殺された事を聞かされ、その内容を聞いていました。
それは、霞ヶ関から宮中に向かう途中暗殺されたと聞かせられた。その瞬間
二人で飲みあかしている場面がよぎり、床にしゃがみこみました。五代は死を
否定すかのように、大声で叫んだ。

その頃東京あさは

大久保の、暗殺が東京中に駆けめぐっている頃、あさは、五代のことが気になり
会いに行きたがっていましたが、大阪のことも気になり、迷っていました。
うめが行かない方がいいと言いましたが、それでもやはり、五代の事が心配で
所に向かいました。

その頃加野屋では、正吉、よのの為、新二郎が三味線を弾いていました。
新二郎の三味線の音色は加野屋中に響き渡っていました。

場面変わって東弘成館

東弘成館に着いたあさは、帰る途中、大久保の暗殺を知り、五代のことが、気に
なり来たと伝えた。

その頃大阪の新二郎は

新二郎は、亀助を連れて、よのの部屋へ、そこで耳にしたのが、ふゆの、縁談の話で
よのは、乗り気でふゆに進めていました。それを聞いていた亀助は、ショックです。

亀助を自分の部屋へ呼び、縁談のなれそめを話し始めた新二郎でした。
どうなる亀助。

新二郎のアドバイスで、ふゆに、打ち明けてたらと言いましたが、それは出来ないと

東京のあさは

五代が、大久保の死に直面して、自分が不甲斐ないと愚痴っていましたが、あさは
そんなことないと慰め、今後の大阪、日本の為にがんばりましょうと進言したあさでした。

今日の感想
今日見ていて、一番感じたのは、あまりにも展開が早く、いまいちです。
半年間するので、もう少しゆっくりした方がいいと思いました。








タグ:亀助 霞ヶ関
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あさが来た 「東京物語」 [NHK連ドラ]

12月24日視聴分

伊野熊屋で

待ち合わせをしていたのが、あさの、弟の久太郎(忠嗣)でした。あさは、親に ばれなかったと聞いていました。あさは、家族のことを、いろいろ聞いています。

特に、あさは、父親のことを気にしていました。

ところで久太郎は、アメリカのことが、話したくて仕方ないみたいでした。 あさも、アメリカの人は身長が6尺5寸(195㎝)ありますかと聞いてました。

アメリカという言葉に反応したのが諭吉でした。(武田鉄矢)興味津々

そこへ、父忠興が血相変えて入って来ました。雰囲気最悪!これは、大変です。
忠興、あさに、説教が始まりました。こらは、立場上悪者に成るしか仕方ありません。 あさも、言い分はありますが、ただただ、反省です。

今度は、あさの反撃です。福沢諭吉の本の、学問のすすめの一説の、天は、人の上 に人をつくらずと言う言葉を父に言いました。
次に、諭吉の8編の中から、この言葉を言いました。それは、生まれたら、男も人なり、 女も人なり、これも忠興に言いました。

それを聞いた諭吉が、俄然張り切り、あさの隣にすわり語り始めました。 男も人なりに、女も人なりに、ついて語り始めました。

かいつまんで言うと、熱いお茶は、男も、女も同じ、おこしを食べれば、男も、女も甘いと どちらも同じと言うことです。

あさが、諭吉にどうしたらいいか尋ねると、女も自立しなさいといけない時代が来ると悟し 君は、女社長に成りなさいと言われた。

忠興が、あなたは、福沢先生ですかと尋ねられると、おこし1枚持って立ち去りました。

伊野熊屋の前で一言

日本にも、やっと新しい女が出てきたと

また伊野熊屋で

皆で食事をしながら、現状について語っていました。大久保先生にあったかとか、炭鉱の 今後どうするかとか、また、銀行のこととか話をしていました。

伊野熊屋の前で

あさと、うめと別れたあと、忠興が、あさは一人の商売人やとポツリ久太郎に話しかけました。 忠興はふと、あさの祖父(今井忠政)の言葉を思い出して、あさを男として育て、家徳をあさに、 譲れと言った事を思い出していました。

東弘成館で

五代と、大久保は、五代がイギリスから持ち帰ったウイスキーを飲みながら、今後の日本に ついて語っていました。二人を見ていると、本当に信頼で結ばれて同士です。

号外大久保利通暗殺される明治11年5月14日今後の日本どうなる

今日の感想

明治の始まり、これから激動の時代に入る頃、時代のリーダー達が模索している事が よく、表現されています。

女性は、どのようにして社会進出したらいいかとか、戦争しないようにするにはとか、 よく表現されていました。
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あさが来た 「東京物語」 [NHK連ドラ]

12月23日視聴分

東弘成館にて
  あさと、うめは、五代の応接室に通され、お茶を飲みながら、雑談中です。
  五代は会社の名前の由来を話し始めました。鉱山業会社の名前が、弘成
  館で、東京に造ったので東弘成館とつけたと。
  
  五代友厚が、あさを東京に呼んだ一番の訳が、大久保利通(内務卿)に合わす為
  だったみたいです。

  大久保利通を紹介され、あさは、ビックリポンです。あさは、気が動転して、うめに
  声をかけようとしたが、旅の疲れて、寝込んでいました。

  五代と、大久保が雑談をしているところに、あさが、二人の話の中に入って、二人は
  どのような関係かと尋ねました。すると、大久保は、五代とは、心の友ですと答えた。

  大久保は、二人の関係を歌で説明した。
  「善きあしき、人の上にて身をみがけ、友はかがみと なるものぞかし」

  大久保は、あさに東京の、感想を聞いていました。見るものすべては、初めてで、
  すべてか興味ぶかく感心していました。その中で、大久保が持ってきた、アイスク
  リームが一番だったみたいで、大喜び、一言文明開化万々歳です。  

  また、大久保は、あさに、大阪は、古くから商いで栄えた歴史のある町です。  
  大阪は、知恵と、経験、それに誇りの町です。この大阪こそが世界と渡り歩けると
  五代は言っています。
  大阪には、この国の未来が、かかっていると、進言しました。

  うめ、やっと目覚め、あっけにとられています。

  大久保は、五代のこと、大阪のこと、それに私のことよろしくと、あさに、お願いを
  した。流石人を見る目があると、大久保

  あさ、二つ返事で答え、大久保とシェークハンド

帰り道
  三人で雑談をしながら歩いていると、うめが、これなんですかと聞くと、それは、
  ガス灯ですと、あさが答えました。

その頃大阪では
  おふゆが、お千代をあやしていました。新二郎はそれを眺めながら、物思いに
  ふけっていました。

  そこへ、よのが新二郎を呼びに来て、手紙を渡しました。さてさて誰からかな  

また東京では
  五代は、あさと、うめを東京見物に出かけ、いろんな所を見せていました。

  ある日あさは、待ち合わせで伊野熊という店に来ていました。そこに、福沢諭吉も
  来ていましたが気づかず。さてさて誰と待ち合わせかな
 
  やっぱり、あさと、諭吉の絡みが見たいです。
  
  
タグ:五代友厚
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